後縦靱帯骨化症その2

朝8時、車椅子の乗せられ手術室へ向かった。手術室へ入るとそこはドクターXで見るようなガラス越しの部屋などはある訳もなく、ただただ無機質の部屋に入った感じがした。麻酔師は女性、「これから点滴をしていきますね」の言葉を聞いたその直後にストンと落ちた。すぐに気が付いたと思ったが4時間が経っていた。
意識が虚なまま集中治療室へ運ばれた。この処置も心臓病持ちなので念のためらしい。手術中ももしもに備えて胸にAEDを取り付けていてくれたそう、こういうところが総合病院の良さなのかな。

意識が戻り最初に感じたのはベッドの手すりが冷たく感じたこと、手術前はその感覚がなかったので新鮮に感じる。左手の握力もほとんど無かったのにいきなりギュッと握れるようになっていた。傷の痛みも全く無い、こんなことならもっと早く手術を受けておけば良かったと調子の良いことを思う。

翌々日からはドレンをつけたままリハビリ開始になった。まずは歩行器で歩かされた、久しぶりに自分の足で立った。わずか3日で車椅子から自分の足で歩いてる、夢みたい。リハビリ3日目には杖で歩く練習に切り替わった、リハビリの先生が腕を支えてくれながらだけど50m歩いては休憩を3回、もう格段の進歩である。ただカーブに差し掛かると足がもつれる時がある。1ヶ月後の退院前は300mほどに伸びていた。

 

そのリハビリ室でのこと、一緒になったおじいさんが話しかけてきて自分は癌であること、多分生きてこの病院を出られないと言う。そんな話をふんふんと聞いてるとおじさんが昔話を始めた。仕事は油の配達をしていたそうで一斗缶に入った油を自転車に乗せて言問橋を渡るときのしんどかったことをと話してた。昔の言問橋はどんなのか知らないけど坂があってキツかったらしい。自分の横を通り抜けるトラックが楽そうで羨ましかったと言うので、そりゃそうでしょう、車の方がいっぱい積めるのになぜそうしなかったかと聞くと「人間はガソリンが要らないので安くつく」とあっさり言って笑ってた。そのときテレビで見た戦後の風景が頭の中で広がった。自分ならとっとと仕事をやめているだろなと根性なしの自分を思った。あのおじさん、今はどうしてるんだろう?

 

最近全身麻酔の原理が100年以上解明されていないという記事を読んだ。えええ?と思ったけどさもありなん、麻酔で落ちる瞬間の気持ち良いこと、多分「死ぬってこういうことなんだな」とマジでそう思った。この体験が人生観に何かいい影響があればいいけど退院とともに忘れてる。

 

退院3ヶ月後にはゴルフも解禁になった、そしてもうすぐ一年。たまに杖を忘れることがあるような状態にまで回復。また車のハンドルは両手でしっかり持てるようになった。この病気の回復はある日突然腕が動くようになるなんてことはなく、気付いたら動いてるみたいな超スローペースなので焦りは禁物かな?今後に関しては2年前の転倒から回復した経験があるので心配はしていない。ただ5年後あたりに再発するという記事もあるので定期的に通院しないといけないと思う。しかし薬でどうなるものでもないのでひどくなったらまた手術か…今度は前からかな?